横浜高校野球部監督の村田浩明氏の元で甲子園を目指していた2選手が、暴言や暴行を理由に横浜高校を退学することがわかりました。一人は元プロ野球選手を父に持つ、超高校級スラッガーです。退学の理由が「監督からの暴言・いじめ」です。
村田ひろあき監督とはどのような人物か評判を調べました。
村田浩明監督の評判「強い横浜高校を取り戻す」
今回の経緯です。
4月30日に元プロ野球選手である小野剛氏が、横浜高校野球部に在籍する次男、小野勝利さんについて、横浜高校を退学するとフェイスブックに投稿がありました。小野勝利さんは1年時から活躍しており、現在は横浜高校のレギュラーです。
※現在このフェイスブック投稿は削除されています。
- 厳しい指導を通り越した陰湿ないじめと暴言に次男(小野勝利さん)があっていた
- 同学年の本田僚太さんは野球をやめるというほど憔悴しきって病院に通院
- 他にも数名病院に通っている
- 教頭に報告したが「それが横浜高校の野球指導」といわれる
- 色々な人から「息子さんやばくないか?」と心配される。本人は何も言わない
- スタッフに確認をとって事実を確認「何もできず申し訳ありません」といわれる
- 「野球だけ」なら素晴らしいと思う
- 次男は仲間と離れることを最後まで悩んでいた
村田浩明監督による陰湿ないじめと暴言が理由であるが、横浜高校の”野球”に関しての指導ではないこと。他にも体調を崩した部員がいる。本人は何も言わなかったので、スタッフに確認した所、本当だったと確認が取れた。「(村田浩明)監督による暴言とイジメの為退学することになった。」
村田浩明監督の評判を調べてみました。
ぜんぶ生徒や親の方が悪いとは考えにくいんだよなあ
退部した人数は3人、4人説ありました。村田浩明監督が自らスカウトしてきた逸材が辞めていくのに、問題がないわけはありません。
前任の平田雅監督は金子部長と共に、酷い暴言を吐き暴行も確認されて2019年9月に解任されました。コーチが代理監督を務めた後、監督就任したのが村田浩明氏です。渡辺元智監督とは1968~2015年までの長きに渡って横浜高校の野球部監督をしていた重鎮です。
村田浩明監督が横浜高校の前に野球部監督だった神奈川県立白山高校時代の野球部員のインタビューがあります。
村田浩明監督が白山高校監督だった時の教え子の話
当時の村田監督の指導は生活指導が大半。携帯使用、授業中の態度など高校球児からすれば守って当然のルール。ただ、それができない、破る選手も多くいたという。村田監督からすれば徒労感を感じる話ばかりだ。「僕も優等生ではなかったですし、村田先生に厳しく指導されることは多々ありました」
「でも辞めさせてくれなかったんですよね。ある時、村田先生に反発したこともあります。だけど、今となって本当に辞めなくて良かったと思います」

自分は横浜高校の野球グラウンドの近所に住んでいる者ですが、正直言って横浜高校の野球部の生徒を応援する気には全くなりません。
まず、野球グラウンドから能見台駅へ向かっている野球部の集団が私の住んでいる家の中まで聴こえる音で音楽を流し、大声で歌っています。また道の端にある雑木林にペットボトルやプラスチックごみを捨てている生徒を頻繁に見かけます。野球部の監督が変わったからなのか共学になったからなのかはわかりませんが、ここ2年で野球部の態度がものすごく悪化しています。 何度かポイ捨てを注意したのですが、笑って取り合って貰えなかったり、舌打ちして無視をして行かれました。
この投稿を横浜高校の関係者の方が御覧になったのであれば野球部の生徒への指導を厳しくして頂けると幸いです。
村田浩明監督は最後のとりでだった
長期監督だった渡辺氏が引退した後、平田監督が就いて、僅か4年で不祥事で解任。その後を打診された村田浩明監督は相当悩んだと言います。
だけど最終的にナベさんや校長の熱意に根負けして承諾した。
安定した公務員を捨ててまで火中の栗を拾うことに家族は反対だったみたいだ。
村田浩明監督は大学卒業後コーチングを学び始めた時に神奈川大附属高校で、これまで勝ったことないチームが初めて勝利を手にした時の選手たちの喜ぶ顔を見て、「弱いチームを強くしたい」と考えるようになったと言っています。
しかし恩師でもある渡辺元監督に「もう おまえしかいない」と言われ、横浜高校の校長にも懇願されて受けた監督でした。県立の白山高校野球部を県ベスト8まで7年で導いたからです。
村田浩明監督の経歴「ケガをしたことから指導者の道へ」
村田浩明監督は川崎北シニアのリトルリーグを経た横浜高校野球部OBです。日体大に進学して保健体育の教師資格を在学中に取得しています。現在35歳です。奥様がいることがわかっています。
村田正明監督は捕手でした。高校3年の夏(2004年)、キャプテンとして甲子園に出て駒大苫小牧に敗れたあと、応援席にあいさつを終えてベンチに戻ると、渡辺元智監督(当時)から突然、こう声をかけられたそうです。
「いつかここに戻ってこられたらいいなぁ」
その一言が離れず指導者の道を考え始めたと言います。しかし村田浩明監督は日体大では右肩のケガの為に、出場機会が減っていきます。野球は断念したものの指導者の道は未練がありました。渡辺監督に相談して母校のコーチングを学びました。
- 神奈川県立霧が丘で野球部長を4年
- 神奈川県立白山高校の野球部監督を7年
- 2020年から横浜高校野球部監督
横浜高校野球部在学中の村田浩明監督について当時の小倉部長が話しています。
「手を焼いたキャプテンだった」
村田選手が高3の時入ってきた1年生の捕手が打撃力が高く、レギュラーを奪われたためイライラが募って村田選手は他校との練習試合で凡ミス。
小倉部長がカミナリを落とすと、ふてくされてラインカーを蹴とばす反抗的な態度をとった。その後、夏大会の予選でタイムリー三塁打を打った時に「小倉 みたか!」と呼び捨てされたことが印象に残っている。
ヤンチャ、負けず嫌いな性格が垣間見えます。
村田浩明監督の暴言といじめ
当事者である小野勝利さんのツイッターは現在削除されていますのでRTになります。
優しい心を持った好青年、そんな印象を持ちました。
あなたは間違いなく筒香以来のスラッガーになれる。
埼玉の高校でも頑張れ!#横浜高校#小野勝利#応援しています#村田辞めろ pic.twitter.com/u40tTqqz1R— 堅忍 (@shogi_takafumi) April 30, 2022
「どんな陰湿ないじめに遭っていたのか」「暴言とは何を言われたのか」は具体的には書かれてありません。父親の小野剛氏も野球だけなら素晴らしいと話しているので、やはり生活への介入が疑われます。
小野勝利さんは埼玉出身なので、横浜高校の徳心寮で生活していたのではないでしょうか。約20名ほどが寮生活です。そうすると生活環境に指導者の目も行き届きます。
前述の白山高校の森田さんも「生活指導」には反発したと言っています。事例として、2019年の9月に当時の横浜高校の監督と部長が解任された時の例をあげます。
村田浩明監督の前の監督と部長の暴言
当時の横浜高校は平田徹監督(当時36)と金子雅部長(当時42)の体制でした。
金子部長が「死ね」「殺すぞ」「やめちまえ」「クビだ」といった暴言を頻発していました。また複数の部員が「金子部長が、平手で部員の胸の辺りを突き飛ばしているのを見たことがある」と証言。平田監督は見ても見ぬふりで黙認していたのを生徒が見ています。
平田監督の方も練習中に、約40人の全部員をグラウンドに集め、練習でミスを重ねた部員の首を両手でわしづかみにして揺さぶり「なんでできないんだ」「だから使いたくないんだ」などと罵倒するのを目撃されました。
部員の首筋に残った爪の跡を、複数の部員が「見た」と話していますが、平田監督は手が当たってしまったかもしれない等曖昧な話をしていました。
いじめは受けた方がいじめと思えばいじめです。しかし
いずれにしても小野勝利さん、本田僚太さんは退学という道を高2早々に選びました。調べてみると退学し編入学すると、野球だけが丸1年公式試合に出られないというルールがありました。(ほかの部活は半年間)ただ、いじめなどそうせざるを得なかった場合は酌量があるようです。
“退学”の場合は履歴書に「〇〇高校 中退」と記載されます。
今夏の甲子園予選を目指せるかはわかりませんが、それを考えても退学を選んだのですから、限界だったのでしょう。
小野剛氏のフェィスブックに「野球界も変わるべき」との記述があります。成功例として父親から子供に監督が移った浦和学院高校を出しています。きっかけにして欲しいという気持ちがにじみ出ているようです。
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