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柳家小三治さん生い立ちは「粋でウィットに富んだ反骨精神」

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人間国宝の柳家小三治(やなぎや・こさんじ)さんが7日、心不全のためなくなりました。81歳でした。TV・タレント活動をほとんどせず噺家として生きた柳家小三治さんを悼み その生い立ちを紹介します。

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柳家小三治さん生い立ち「厳格過ぎた家」

yanagiya一番左の制服を着た少年が柳家小三治さんです。

柳家小三治(やなぎやこさんじ)さんは昭和14年に新宿で生まれました。きょうだい5人中の唯一人の男子です。校長の父と武家の娘だった母にそれは厳格に育てられました。

  • 試験は常に100点を求められ、95点では叱責
  • むやみに笑うなと怒られる
  • 礼儀にも厳しい

終戦前後の混乱期です。父親の威厳は強いものの変革期の世の中でした。柳家小三治(やなぎやこさんじ)さんは 成績の為に塾に通わせて何とかいい学校にという 親の願いにことごとく反発します(当然ですね)

そんな時に出会いがありました。中学3年の時に本屋で見つけた「落語全集」です。なんとタイトルを『おちご』と読んでしまい オチゴ?なんだそれは?で書かれてあった「長屋の花見」という噺(はなし)に夢中になったのです。

卵焼きはたくわんで かまぼこは大根で見立てて食べようという庶民の知恵が笑える馬鹿馬鹿しい話。昭和28年はまだ十分に食べたいものが食べられる時代ではなく 卵焼きは”ごちそう”だったのです。柳家小三治さんには 印象の強い出来事になりました。

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柳家小三治さんは早稲田大学志望だった

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柳家小三治さんは青山高等学校に進みました。現在でも偏差値71を誇る進学校です。しかし進学すると落語にのめり込んで友人やクラスで披露したり ラジオの「素人寄席」で15回連続で勝ち抜いたりして落語の才能が光り始めました。そして早稲田大学を志望したわけですが またも父親が

東大以外は大学じゃない

で受験料をだしてくれません。それなら大学なんか行かずに噺家になろうと家出をします。あえなく捕まって連れ戻される訳ですが その折父親が「そんなに噺家になりたいか」と聞くので きっぱり「なりたい」と。

それならと父親が言ったのが

日本一の噺家になれ

しかし実はこれ美談じゃないのですね。父親はまだそんなこというのかと 柳家小三治さんは呆れたのでした。100点以外は認めないとか総理大臣になれとか言ってた時もあったそうで。なんでも一番、なんでもTOPでないと子供を認められない親の見栄も相当根深いです。

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五代目小さん師匠との出会い

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父親は校長でした。顔が広かったので教え子に末廣亭(すえひろてい・現在もある老舗の寄席です)の若旦那がいました。そのつてで柳家小さん師匠に会える事になりました。もちろん

噺家を諦めさせてもらう為 です。

柳家小三治さんは「噺家になりたい」
父親は「諦めさせてくれ。できなければ せめて大学は卒業するように言ってくれ」

困った師匠は 父親の言う通り とりあえず大学に行ってからまた考えたらどうだと言いました。
すると
柳家小三治さんは「教養のないヤツがワイワイやるから面白いんだ」「教養のある落語なんか面白くねぇ」ときっぱり言って 小さん師匠を唸らせてめでたく入門が決まったのです。

尚 最初に感銘をうけた落語「長屋の花見」は晩年になっても大切に演じられていました。

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柳家小三治さん 最後のTV出演

メディアにはほとんど出なかった柳家小三治さんですが 長年世話になった”末廣亭”の特集に顔をだしてインタビューを受けています。それが最後の放映となりました。

yanagiya

2021年9月25日に放送された テレビ東京「新 美の巨人たち」です。

晩年は病との戦いで 今年になってからは腎臓も悪くされ 高座も休みがちでした。
謹んでご冥福をお祈りいたします。

 

参照 産経新聞

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