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市川典男(象印社長)の経歴「中高庭球部は補欠でマネージャー」

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高級炊飯器分野で象印はトップシェアを誇っています。正式名称・象印マホービンの現社長は市川典男(いちかわのりお)氏です。

市川典夫氏は象印マホービンの創業者の孫で、前社長市川博邦氏は叔父にあたります。

食と暮らしのソリューションブランドを目指すという象印社長・市川典夫氏とはどのような人物なのか、経歴を調べました。

 

市川典男(象印社長)の経歴「マネージャーで学んだ」

市川典男社長は、大阪府八尾市出身の今年65歳です。(1958年生まれ)

両親と姉二人の5人家族だったようです。

5歳までは実家の近くに象印の工場があり、休みの日はよく工員さんに遊んでもらったとか。

市川典男社長は甲南中学に進学して硬式庭球部(テニス部)に入りましたが、レギュラーにはなれず、次第に裏方仕事をするようになりました。

その後、甲南高校、甲南大学と進学しますが、庭球部の”マネージャー”として全国大会を目指すことが市川典男社長の目標に変わったといいます。

大学3年の時には全国大学王座選手権の優勝をマネージャーとして達成しました。

 

今の経営には、このマネージャー時代に学んだことがかなり役立っていると思います。
市川典夫社長は、KENJA GLOBALのインタビューでそう語っています。

市川典夫(象印社長)経歴「社長就任は42歳」

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市川典男社長は大学卒業後、象印マホービンに就職しました。

家業に近い状態だったので自然な流れでした。

前社長の叔父が社長から会長に70歳で退いた時に、象印の四代目社長に指名されたのですが、市川典男氏は当時役職ではなかったので本人が一番驚いたそうです。

その為か関西企業のオーナーの人たちとの繋がりにお世話になったと話しています。

市川典男社長は就任後、関連の子会社すべての社名頭に「象印」という名前をつけるように改名しました。

グループとして「象印(ZOJIRUSHI)」ブランドのプライドと誇りを持たせるようにしたかったと言っています。

「暮らしを創る」という企業理念

「日常生活発想」というスローガン

市川典男社長は暮らしを豊かにすることに、責任と誇りを持っています。

私は社員に「われわれは電機メーカーじゃないぞ」と何度も繰り返し言っています。「家庭用品メーカーだぞ」
ホースやマットのない布団乾燥機「スマートヒーター」や高齢者が朝ポットでお湯を沸かすことで、安全確認ができる「見守りポット」は、外部の最先端技術と連携して開発できたと語っています。

 

市川典男(象印社長)のプロフィール

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日本経済新聞より

 

市川典男社長は趣味は観劇。

しかし、休日は家でゆっくり過ごすことが好きとのことです。

座右の銘は「真意と真因」(真因とは”本当の原因”という意味です)

尊敬している人は 父親の市川重幸氏。

 

市川典男社長の父親は戦後の象印を一から立て直しました。

昔気質の人だったそうですが、1970年に半導体を使った電子ジャーを開発して、会社を

急成長させた人物です。

当時、炊飯器はまだありません。炊いたご飯を温かいまま保温する電子ジャーはとても重宝しました。
ただストレスからか、市川典男社長の父親は飲酒と喫煙が増え、身体が弱っていきました。
市川典男社長は、「父の苦労する姿を見て育った」と語っています。

市川典男社長の経歴 まとめ

市川典男社長は42歳という若さで象印マホービンの社長に就きました。

創業からの同族経営ですが、学生時代の裏方、マネージャーの立場で掲げた日本一の成就が、経験として生きているといえます。

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象印公式サイトから

 

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